まあ、子供に肩透かしされる感覚は分からないでもない。
でも本当に子供をデジタルネイティブにさせたかったら、中学にはいったらMacはターミナルだけを使わせるべきだ。マウス・トラックパッド基本禁止。vimデフォルト、Python、シェルスクリプトあたりまえ。ご褒美はスマートフォンやiPadなんてチャライのではなく、男のHHKB Pro2。ただ、gccに苦悩中。あ、いや、いまうちのガキに仕込み中なもんで。
(via kashino) スパルタンだなあ。 (via semi) (via otsune)
エンジニアにするってのならそれでもいいかもしれないけど、「デジタルネイティブ」かどうかってのは道具の問題じゃないと思うのだが。そうやって道具を制限するのって Apple が言語を制限するのと同じで「傲慢」に見えてしまう。
(via hexe) (via 60rpm) (via superneet)
(via s-hsmt) (via cohuereblog) (via sander786)
俺はtubmlrをやらせるよ
(via petapeta) (via yaruo) (via katarinax) (via shimanashi) (via masaka) (via hm7)
「好奇心」を養い、「空気を読む能力(=平和により多くの人とコミュニケーションを行うために)」を身に着けさせることじゃないかしらん。所詮はネットもツール。いつか出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。使う能力がなけりゃ罵詈雑言を拡散するだけの人になっちゃうかもしれないわけだし。
(via akirasek)
前提として「デジタルネイティブ」って考え方がそもそもオッサン臭いってのを自覚した方が良いだろうな、とは思っているのだけど。
以前から「(同じ人間の営みなんだし、その内に違わなくなるから)ネットとリアルを分けて考えるな」って思ってるし言ってるんだけど、それと同じでデジタルだのアナログだの分けて考えるのがバカバカしくなるほどに世の中はなるんだと思っていて。
そうなってくると結局は、如何に人の営みを全うできるかが課題になってくるので、じゃぁ考えなきゃいけないのは「人として如何に真っ当か」だけで良いんじゃね?って思ってたりします。
まぁしかしその「真っ当」ってのがこれまた人(だの場所だのコミュニティだの社会だの国だの文化だの何だのかんだの)によって違うから困ったり面白かったりするんだけど。
まぁそんな風に考えているので、息子には「真っ当に生きて欲しい」的な思いを込めて名前を付けたりしましたが。
ってのはさておき、スパルタンにデジタルネイティブを現時点で育てろって言われたら、俺ならまず「otsuneさんを半年ROMれ」って言うかな。そうすりゃその内に「ネットは広大だわ」って境地に素で立てるようになるでしょ。今ならそっからじゃないかな、デジタルネイティブって。伊達に「人型エシュロン」って呼ばれてないんだから、思いっきり(真似|学)べば良いさね。
そっから先、その広大なデジタルの領域にどう食い込んで組み込まれて行くかは、まぁターミナルに齧りつくも良し、dsbdに潜り続けるも良し、半年もotsuneさんROMってれば何か好きなやり方が見つかるでしょ。
オシリスキーになっちゃうかもしれないけどw
(via vmconverter)
2010年4月の記事。 reblog してたことも忘れていた。「デジタルネイティブ」ってもはや古語の香りが… 引用の彼女は進学したのだろうか。
私も1年前は「スマートフォン要らね」とかちょっとスカしてたけど、実際持ってみると(Android 端末だけど)ちょっとした「センスオブワンダー」だった。未知のものに繋がる感覚はおっかなびっくりでしかも楽しい。
(via hexe)
(via otsune)